散りはてて花のかげなき木のもとにたつことやすき夏衣かな

慈円(新古今・夏)

こんなふうにここにいれば、あとはどこかに行くだけだから。花は落ちきって、セーターはしまったよ。


〈本歌は、躬恒「けふのみと春を思はぬ時だにもたつことやすき花のかげかは」で、「もう今日で終わりだなんて思ってなくても、この満開の花の下にいればさみしくなるよ」くらいの意味。語義的には、「だにも」は「だっつったって」、「かは」は「だなんて」と読んだらよい。「たつ」は出立の発つととるのが普通だけれど、もちろん佇立するの立つの意味も含み込んでいるだろう。「いる(立つ)」と「さる(発つ)」は反対の言葉だけれど、「たつことやすき〜かは」とすれば、簡単に立ってんだなんて(思うなよ)、もうどこへでもだなんて(思ってないよ)と、いたたまれなさに通じ合う部分もある。また夏衣に「裁つ」がかかってもいる。
慣用句にある「かげもかたちもない」というのが実体のなさを言っているのと近く「花のかげなき木のもと」は「花のない木の下」であろうが、ぼくとしては逐語的に「木の下には花の陰なくて」と読んだ方がさみしげで好きだ。わたしをひきとめるものはもうないという気持ちが、さわやかでやさしい。衣替え